ひといき荘について

「少人数だからこそ実現できる」そんなプランを

「ちょっと”ひといき”しよう」をテーマに、春〜秋は四尾連湖(山梨県市川三郷町)でのレイクカヤックプログラム、冬は八ヶ岳北麓(蓼科)でのスノーシュートレッキングを日々開催。
初心者から熟練者(?)まで楽しめる安心安全なフィールド&海外トレッキング豊富なご案内いたします。
また、プログラムご参加前の、お客様とのやりとりを大切にしておりますので、ご不明な点やご要望に対してスタッフが丁寧に対応させていただきます。
メールでもすぐにお返事しておりますので(6時間以内の返信率99%)、まずはお気軽にお問い合わせください!

ガイドブックには載っていない旅を

[春〜秋]

山梨県、長野県の湖を中心に、レイクカヤックを開催しております。
初心者の方から家族連れまで、ピクニック気分から遠征ツアーまで、さまざまなニーズにお応えしたツアーを組んでおります。

[冬]

蓼科@北八ヶ岳を中心に催行しているスノーシューツアー。そして、富士見パノラマスキー場のゴンドラに乗ってたどりつく入笠湿原ではワンコ連れのスノーシューツアーを催行。
そして、創業当時から人気をいただいている、満月の夜に雪原を歩く「ムーンライトスノーシュー」は、ひといき荘オリジナルツアーとして定着しています。

ガイドプロフィール

藤井 憲一郎

生い立ち

静岡県浜松市で生まれ、小学生の頃に「親元離れて暮らしたい」とカッコいい事言い放ち、県内の中高男子校寮生活で青春を潰す。その後、「勉強するには住環境が大切だ」という親の言いつけのもと、「物価が安く・食べ物が美味しく(トンコツラーメン万歳)・温泉が近く・人柄が良く・女の子が可愛い」九州での大学生活(文学部)で息を吹き返す。

大学在学中から登山愛好会に所属し、九重連山(大分)や宮之浦岳(鹿児島・屋久島)などの九州の山々のほか、北・南アルプスを縦走するも、九州という地形柄か、ピークアタックというよりは低山トレッキングの魅力に引き寄せられる。

また、ヒッチハイクで日本1周をするも四国へ行き忘れ、せっかく行くならば四国巡礼をしようと思い立ち、1999年3月、当時(自分の中で)流行っていたノートパソコンを持って、お遍路の模様をホームページに公開しながら約2ヶ月かけて巡礼を完遂。これが、新聞・テレビ・ラジオ等で「電脳装備のお遍路さん」などと紹介され、『”変”と言われる事に快感を覚える』人生の第一歩に。

メディアに出た怪しげな姿が、格安航空券大手のH旅行会社に見つけていただき、大学生の分際ながら、、、

「これからインターネットメディアは儲かります、はい」
なんて話したら、

「うちは海外専門だから(当時)、ひとまず海外行ってきたら?インドとかいいよ」
と言われたので、翌週、大阪の領事館までビザを取りに行き、数日後には単身、インドの地に下り立つ。

インドでは、喧嘩、夜行列車からの飛び降り、ガンジス川での沐浴等、

「あぁ、もうこれ以上怖いものはないかもん」
と、中途半端に悟りながら帰国。
インドを勧めてくれたお礼にと、お土産をH社に持っていったら、就職試験の真っ最中。
誘っていただいたご縁もあり、ちゃんと試験を受けて入社。

2年ほど社会人生活を送ったものの、山旅に出たい気持ちを抑えきれず、、、

「本当にすみません、山が呼んでいるんです。」
と告げて退社。

その後、乗鞍高原にあるペンション「テンガロンハット」で、約1年間の約束で居候生活を送らせていただき、ここで初めて雪と戯れる楽しさを知る。

「人生、踏み外してこそ面白い」

という想いからか、ゲレンデスキーより雪原を自由に闊歩できるスノーシュー(西洋式カンジキ)にはまって、乗鞍高原内の雪原を堪能。
その後、数年前に欧州バックパッキング旅行(スイス・オーストリア・ドイツ・北欧)で訪れたノルウェーで見たテレマークスキーにも足を伸ばす。

2001年春、縁あって八ヶ岳南麓での生活をスタート。この頃、キープ協会のインタープリターズキャンプやアバランチ(雪崩)講習会の受講、ネイチャーゲーム&CONEリーダー、安全衛生特別教育(大径木伐木・刈払作業)の資格を習得。

同年冬、蓼科の雪原にテントを張って生活しながら周辺のルート開拓をしていたら、蓼科のペンションオーナーに見つかり、
オーナー:「君、なにしてんの?」
ふじけん:「テント生活してます」
オーナー:「・・・」
てな具合の会話を繰り返し、ペンションのお客様のみを対象にしたガイド業をスタートし、2007年より「ひといき荘」として、春〜秋はトレッキング&カヤック、冬はスノーシューを中心としたプログラムを提供。特に、満月の夜だけのプログラム「ムーンライトスノーシュー」は、自然の新たな魅力の一つとして、NHK全国版等、多くのメディアで紹介される。

一方、地域新聞紙の記者として地域ネタを追いかけるため、地元ネタに精通しているほか、小学館発行のアウトドア雑誌「BE-PAL」のメールマガジン「air-BE-PAL」(休刊中)のライター、雑誌コラム等の執筆実績も。

2003年には、キリスト教の三大巡礼地で、世界遺産にも指定されている「スペイン・サンティアゴ巡礼路」(約800km)を踏破。2010年4月には奥さんと新婚旅行(説得するまでが巡礼だった)を兼ねて踏破。

2012年8月、東日本大震災復興支援活動として、宮城県気仙沼市の高校生と共に約150kmの巡礼路をトレッキング。

2013年から2016年にかけては、同巡礼路を腐れ縁のお客様を毎年数百キロずつご案内し、79歳となられた最終年は、車椅子を押して約200kmを走破。

2019年春には、同巡礼路を、家族4人(僕・妻・息子1@小学2年生・息子2@3歳)で自転車での一部走破を計画中。

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